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沢津野大豆プロジェクト−1−水の涸れた大地に種をまく

「沢津野大豆プロジェクト」始めます!

 南阿蘇村の沢津野地区。ここでは4月16日未明の地震以来、水道が止まってしまいました。田んぼの水も涸れていて、お米が作れない状態です。既に3ヶ月経ちますが、梅雨の大雨による土砂災害でさらに打撃を受け、復旧の目処が立っていません。このままだと1年間何もつくらないままで田んぼが荒れ、耕作放棄地が増えてしまう…。

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 4月、5月と現地に足を運ぶうちに、干上がった田んぼと枯れた苗を見て、どうにかできないだろうかと思い始めた私。梅雨の被害が広がる6月24日には区長さんの案内で福岡のボランティアグループの方と一緒に水源から上水道、用水路へのパイプラインを見せていただきましたが、土砂災害の爪痕が大きく、自然の力に圧倒される風景が広がっていました。

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(左上のグレーの塩ビ管が分断されたパイプライン)

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(黒のパイプが分断されたパイプライン)

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(川向かいは隣の乙ヶ瀬集落の田んぼ。多くの農地が土砂で流れている)

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(水が流れているはずの水路は歩ける状態に)

 水道と水路の復旧は時間がかかりそうです。ですが、なんとか農地を復活させて、絶望ではなくここで暮らしていく喜びや意義を持ち続けて欲しい。そんな気持ちがわき上がってきました。

 そして、こんな企画を考えました。

【沢津野大豆プロジェクト】

 農家さんが耕作するのを応援する大豆トラストと、買取りによる大豆と味噌販売のプロジェクトです。

種まく人々

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 大豆を作ってくれるのは、沢津野区で無農薬無肥料の酒米をつくってきた古澤昭夫さん(写真中央)。昭夫さんは両親との3人暮らしで、お父さんの育男さん(写真左)は沢津野区で長年に渡って大豆をまき、種を継ぎながら育ててきました。

 昭夫さんは少しでも田んぼに水を戻して何枚かでも田植えができたらと尽力してきましたが、水路の復旧が難航して進まず断念。一時は出稼ぎとして福島の除染作業に行くことも考えましたが、大豆トラストの提案から思い直し、地元で農家をしながら暮らしていく事を選びました。

 育男さんは元村議会議員で、水道工事などを担当してきた経験から今回も水道の復旧に奔走してきました。南阿蘇村の水道は集落ごとに配管されていて、山水や湧き水を利用しています。日頃の管理も集落ごとに行っています。育男さんは区長さんや業者さんと一緒に土砂で埋まった水源まで足を運び、配管を引き直し、ようやく水が出るところまでこぎ着けたその時、大雨による土砂崩れが起こってしまいました。現在は水が引ける水源がみつかっておらず、行政にも相談しているものの、未だ復旧は難しい状態になっています。

 この沢津野の状況をインターネットメディア IWJ-Independent Web Journal- の高橋さんが取材してくださいました。沢津野の様子は28分頃からです。ちょっと長いですが、ぜひご覧ください!

〈熊本取材〜震災から1カ月半(1)〉「飲み水も農業用水も寸断されたまま…苗は枯れ、今年は田植えができなかった」南阿蘇の“今”と民間団体「南阿蘇よみがえり」


*取材当時は「南阿蘇よみがえり」で活動していましたが、現在は「ローカルメディア3」で活動を継続しています。

古澤家の今

 沢津野区は被害の大きかった東海大学がある黒川区の隣にあり、倒壊した家屋が多くある場所。地割れや土砂災害もおこっていて、避難指示が出る事も何度もありました。古澤さんのお宅も母屋と納屋が全壊。家は基礎から50㎝程後ろにずれて傾き、母屋の中に大きな地割れが走っています(写真上)。現在は二次避難所から仮設住宅への引っ越しを進めながら、唯一残った鉄骨の倉庫(写真下)を休憩所にして家の片付けや農作業をしています。

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 敷地内に住み続けられるかどうかは地割れの調査を待たなければならない状態です。ですがやはり、農地を守っていきたいという想いから、耕作放棄しないでここで種をまくことを決意しました。そしてそれは、集落の未来をつくる大切な一歩になるはず。

 集落は未だ多く建物が倒壊した状態で残っています。

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 沢津野にみなさんの笑顔と美しい田園風景が再び現れる日がきますように。そんな願いを込めながら『ローカルメディア3』はがんばる農家さんと一緒に、中山間地を元気にする種をまいていこうと思います。

(続く)
次回はトラスト制の詳細と募集についてご紹介!
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