やっぱり本音で語りたい
初夏の訪れを感じさせるような熱い日差しときわやかな風。緩やかな海岸線を描く白砂に遥かに碧い空と海が美しいコントラストをつける二丈深江の海岸に、SAIKAIというビーチハウスがあります。マルシェや写真展が開催されている店の中は、たくさんの親子連れでにぎわっていました。
そんな中に姿を現したのは山本太郎さん。顔には、ドーランの名残。彼は福岡での舞台からここへと駆けつけたのでした。それはちょうど、著書『ひとり舞台』を発売した頃で、マスコミ報道がヒートアップしていた頃でもありました。
そして、物語の始まりでもありました。 「僕が感じたのは、「生き延びたい」と細胞のひとつひとつが叫んでいるような感覚でした。生物として自分のいのちをまっとうしたい、生き抜きたいという、動物的な勘でした。役者は社会的なことや宗教的なことをいってカラーがつくのを嫌がられます。しょうがないよ。お前そういう仕事やろって言われたり。でも、自分の心はね、こんなことを言うんですよ。
何も言わないってことは、何もしないことと同じだろ? 変えていけるかもしれないのに、何もしないで後悔しないのか? 一瞬の自分の利益だけを守るために、何も言わないのを許せるのか?
本心を話して仕事がなくなっても、本当に後悔しないか? そう聞かれるんです。ずっと眠れない日が続いていて、もう、気がおかしくなりそうでした。自分が思っていることを言いたいのに言えなくて、無関心を装わないといけない。生き地獄でした。 3週間経って初めて自分の本心が言えて、ほっとしました。ようやく人に戻れたんだという思いでした」
仕事は激減しました。語り合える友達も少なくなりました。でも彼にとってそれよりも大事なことがありました。 「たくさんの人が死んでしまうかもしれない。なのに、何もなかったフリをして過ごすことはできなかったんです。僕にとっては、何も言わない自分を想像することの方が怖かったんですよ」
自分が自分らしくあること。それができないから人は悩み、苦しみ、心が晴れない日々を送っていくもの。それは職業や国籍、肌の色などとは関係なく起こることでしょう。
そして、ひとりの人間としてどう生きるか、本心と向き合う苦しさは誰もが経験していること。そこと本気で向き合えて初めて、壁を越えていくことができるのです。 「仕事もなくなって、収入もガタ落ちしました。でもそのかわり、本気の大人達に出会えました。骨のある人達がこんなにいたんだって驚いていますよ。子どもたちを守ることは未来を守ることです。そこに本気で向き合っている大人達に毎日出会える。収入以外はプラスのことしかありません」
そう語る太郎さんの顔は、誇らしげに輝いていました。
ただ幸せに生きること
講演ではチェルノブイリを訪れた時に見たことや、ベラルーシの対策にも触れ、具体的なデータがあげられながら話が広がっていきました。それは未来の日本の姿を予測させるもの。会場は客席の熱気とまっすぐな視線があふれ、講演後には、サインを求める人の列が砂浜に長く連なりました。太郎さんと話したいと、たくさんの人が次々に近寄っていきます。
そんな熱気覚めない中、幸運にもお話を伺うことができました。 人生で大きな壁に打ち当たった時の、打ちひしがれるような思い。私には彼の話していることが、ごく普通の、誰もが感じる悩みのように感じられました。どう生きるか、に真撃に向き合っている時の、あの感覚が、伝わってくるのです。 「僕は、人がただ幸せに生きることを許される世の中であって欲しいと思うんです。本当のことを伝えて欲しいと思うんです。本当のことを言ったら現実が変わるかもしれないのに、本当のことを言わないから子どもたちが死んでいく。その可能性がどんどん高くなっている。そんなウソを見ていて、腹が立ってしまったんですよ。それだけじゃなくて、こんな大きなことが起こるまで気づかなかった自分へも、怒りを感じています」
そして彼は、力を込めてこう語るのです。「僕は生き抜きたいし、みんなにも生きて欲しい。それにはどんな世界に生きたいか、どんな生き方をしたいかが大切になってきます。信条も宗教も関係なく、ひとつの問題を解決するために行動していくことが大事だと思っています。少しでも同じ部分があったら一緒に闘っていけるんじゃないかつて、思うんですよ。大きな方向で一緒なら、力を貸しあおうよって。そして、多くの人は、事実が分かったら同じ方向に向かっていくんじゃないかと思っています。
僕も最初の一歩を踏み出すのは大きな恐怖でした。でも今は、そこを踏み出す勇気が必要なんです。いろんな人が今までの生き方を変えることで変化は生まれてくる。今と未来を変える希望があると思っています」
その言葉は力強く、その眼差しは前を向いていました。解決するために行動したい。そんな強い意志が全身からあふれていました。
自分らしく生きる選択
その思いが、カタチになって現れたのが、その年の12月。太郎さんは突然、衆議院議員選挙に立候補を表明し、「新党・今はひとり」を立ち上げて、杉並区で選挙活動を展開しました。しかし惜しくも落選。そして再び2012年7月、参議院議員選挙に東京選挙区から立候補。多くのボランティアや支援者に支えられて、666,684票で当選しました。彼は役者でありたかったのであって、政治家になりたかったわけではありませんでした。それなのに、自分が生きてきた夢を捨ててまで遠いところにあった世界に飛び込んでいったのは、なぜなのでしょう? それはきっと、自分の本心と向き合って導き出した、ひとつの答えを生きることを選んだからではないかと思います。ひとつのいのちとして、大事だと思うことを。