2018/02/09(金) 02:15

【続・熊本へのラブレター】地域支え合いセンターの活動で見えた、これからの村に必要なこと〜南阿蘇村高野台団地・高橋俊夫さん②

奥さんの実家がある南阿蘇村に、結婚を機に移住してきたという高橋さん。2000年に土地を購入し、2001年7月に住まいが完成。9月にはお嬢さんも生まれ、自宅のあった高野台団地はまさに、家族の歴史そのものだった。しかし地震後、市内の病院でのシステム系の仕事をしていた高橋さんは仕事を続けられなくなり、退職。それから新たに始めたのが、社会福祉協議会が運営する「地域支え合いセンター」での相談員の仕事だった。そこで彼は、今までとは違うスタンスで、村と向き会うことになる。

子育て世代が村を離れていく


DSC 2165 2019年1月現在の高野台団地。土砂は取り除かれ、解体が終わり、4軒が居住を続けているが、子育て世代は他の場所で暮らすことを希望している。

 

 

——被災者の皆さんの大変な話ばかり聞いていると、それで辛くなったりすることはありませんか?

 

「同じような被災された方、同じように再建していかなければいけない仲間意識もあって、自分が取り残されているんじゃないって気持ちがありますね」

 

——では、思いを分かち合えているような感じ?

 

「そんな感じですね。むしろ私の話をすると、逆に、大変ですねと励まされる。あと、行政に対しての不満などを言われる方に、どちらですかと聞かれた時、高野台ですと答えると、そっからはっと黙る方が多いんです。私が逆の立場に立って被災者の支援をしているってことで、大変でしたねって、おっしゃられたりとか(笑)」

 

——みなさん、やり場のない気持ちがあるんですよね。

 

「もちろん、私にもありますよ。行政に対する不満も、もちろんありますし、行政だからでいないこともあるって理解しているんですよ。その中で前に進んでいかないといけないので。

 

——高野台の方で村に残っている方が少ないということでしたけど、支え合いセンターの仕事でいろんな方とお話ししている中でも、南阿蘇村に留まりたいという気持ちが薄れている感じはありますか?

 

「ありますね。特にみなし仮設で外に出られている方。大津方面に出た若い世代の方で戻る人は少ないようです。

南阿蘇の支え合いセンターって人数少ないんですよ。みなし仮設は北は小国、南は上天草、西は玉名まであるのを、実質8人でまわっているんです。今は玉名など遠くはいかなくなったんですけど、多分、他の支え合いセンターさんに比べて広域に渡っているんじゃないかと思います。仮設団地も村内に5ヶ所、村外に3ヶ所、あって、みなしもばらけているので、移動が多いですね」

 

——益城町は、みなし仮説の訪問は外部団体に業務委託していますね

 

「大津も市内のみなし仮設は外部に依頼されているみたいですね。南阿蘇は全部まわっているので手が足りない」

 

——そうやって全部まわっているからよくわかるんですね? 外部に出た人たちは戻ってこない感じがすると。

 

「ああ、戻ってこない感じがしますね。年輩の方は戻ってきます。家をなんとかして戻りますと言われます」

 DSC 2170 自宅を修繕されて暮らす近所の方と。久しぶりの再会に会話が弾む。団地に住む人たちとの交流は今も続いている。

 

——彼らにとってはそこが世界ですからね。やっぱり地域の中で生きてこられたから。

「そうですね。東急分譲地(別荘地)の方でも年輩の方は戻ると言われていますが、子どもがいる世代で戻ると言われる方は少ないですね。立野は長期避難が解除になって仮設からどっと戻るかなと思ったんですが、意外に戻ってこないんですよ。話を聞くと、次の梅雨は様子を見たいと」

 

——その気持ちはとてもわかります。6年前も水害がありましたからね。

 

「あの時の災害もあるので、戻りたいけど戻りたくないというか、戻れないという方が多い。若い世代は、そういう心配をしたくないでしょうし、大津、菊陽あたりに出ちゃっている人は、戻らないでしょうね。便利なんですよね。お店もあるし、公共交通機関もあるし、病院や学校もあって生活は楽です。唯一家賃が高いのがネックかな?」

 

——仕事で熊本市内に通っていた頃のガソリン代や時間を考えたら、それをカバーできるのかもしれませんね。

 

「そうですね。だから、まあ、このまま住みますとか、戻らない方が多いですね」

 

復興するまで村を出ないと決めた

 

DSC 2132自宅があった場所を指差す高橋さん。コンクリート面は駐車場。向かって右隣の方は、家ごと土砂に飲み込まれて命を落としている。

 

 

——そういうのを見ていて、ご自身が南阿蘇村を選ばれたのは、どうしてなんですか? 仕事で通われていた時、大変だったんでしょ?(移動距離だけでなく、被災地とそうでない地域のギャップが精神的な負担になった)

 

「遠かったですよ。一番遠かったのが高森の国民休暇村の時。熊本市の南区まで片道60kmを。グリーンロードの標高1000mを超えて通っていましたからね。行きは1時間半、帰りは2時間。毎日移動に3時間半くらいかかっていました。

 

——それでも村を出なかったのは?

 

「阿蘇が好きなんですよ。単純に。

避難している時にすごく親切にしてもらったんですね。東海大の時は地震のあとやっと逃げ出して、ほぼ1日寝てたんですよね。ようやく動けるようになってから、物資の搬入とか手伝っていたんですけど、その後実家や久木野体育館に避難して、19日に久木野総合センターに移動したら、解放したばっかりで避難所の形になってなかったんです。私は防災士の資格を持っていたんで、役場の方と相談しながらレイアウトを変えていくことにしました。寝る場所にブルーシートが敷いてあったんですが、その敷き方が大雑把すぎて、このままここに寝てしまったトイレに行けなくて大変だから移動させたり、物資の置き場所を利用頻度に合わせて変えたり。ガムテープに名前を書いて名札がわりにして(笑)。

そうしているうちに、避難している方から栄養ドリンクや湿布をもらったり、近所の方から衣類をもらったりとか、非常に親切にしてもらったんです。だから、復興するまではここから出ないって決めたんです。すでに限界集落になると言われている村ですけど、こういう人達がいる村だから、なんとか復興まで手伝いたいと思って。

役場の人もすごく一生懸命だったんです。できるできないは別にして。当直も避難している人たちとは別の、入口近くの、ここはあんまりだろうってところで寝ていたり。だから役場の人も応援したかった。離れる気は無いですね。未だにない」

 

——では村の中でどこか再建するってことですね。

 

「公的支援を望んではいるんですけど、それに頼りっきりにするつもりはないです。去年1年は、なんとか今の生活を支えるだけで精一杯で、いろいろ出来なかったんですよね。なんとなく気持ちがそちらに集中できなくて、未だに住宅ローンの減免もガイドライの申請もやってないんですよね。1回やろうとして書類を取り寄せたんですけど、できなかったんです。ちょっと仕切り直してやろうと思っています。

そんなことをしているうちに、村の中でやらなきゃいけないことっていうのも見えてきたんですね。まず、村の中に仕事が足りない。村の中がバラバラになっている。要介護者が徐々に増えてきている。この辺をなんとかしなければ、この村は破綻する方向に進んでしまう。一気に問題の全てを解決することはできないんですけど、要介護者を増やさないようにすることはできるなと。以前の仕事でやってたことがあるので、その先生に協力をお願いできたら可能だと思っています」

 

健康と情報を軸に地域づくりを進めたい


DSC 2162 高野台団地の地滑りの仕組みは、熊本大学の研究などで徐々に明らかになってきた。高橋さんはいろんな情報を集めながら、再建について考えている。

 

 

——高齢者が体の機能を失わないようにしていくんですね。

 

「そうです。でも、最終目的は違うんですよ。実は、健康だけじゃなくて、健康である地域をつくるためのリーダーを要請する講座なんですよ。それをここでやっていきたい。

情報に関しては、情報の伝達が非常に悪い。役場の中でも悪いし、それぞれの行政区でも非常に悪い。何かをやろうとしても人が集まらなかったり、バラバラだったり、細々とされていたり、非常に盛り上がらない状態になっています。非常時でも、伝達が悪くて非常に無駄なことが多かったので、日頃から非常時を意識して情報を流せるような仕掛けをつくっておく必要があると思うんです。仕事に関しても、企業誘致して村の人をどんな形でもいいから雇用してもらえば、固定収入が増える。企業誘致は難しいとしても、残り2つはやろうと思ったらできる。村の中での情報共有、他の自治体との状況共有の仕組みを構築しながら、災害時に情報の拠点になる事業をしたいと、私が思っていたことを村の人に話したら、こういったことを全部合わせて法人化してビジネスとしてやっていきたいという感想もいただいて。こういった動きを、私もそうですが、子育て世代の仕事にしていきたいなと」

 

——ヴィジョンとしては、その事業を展開しつつ、地域づくりをしていくという感じですね。

 

「地域づくりですね。私は、寿命は健康にいきられる寿命と考えています。これは前の職場の先生のうけうりなんですけど、健康的な地域づくりが大事だと思うんですね。健康でストレスのない地域や健康づくりに適した地域、など、いろんな要素がありあますよね。例えば、散歩するのに目安となる距離、ここから何メートルとかわかる目印をつけるなど、住民のために行政が整えていき、いろんな人が、お互いがお互いを見守りできるようにして、人間関係がよくなれば、ストレスは少ないですよね。そういった地域づくりが目標です。

仕事のことでいうと、南阿蘇村ってど田舎なんですけど、空港に近いんですよ。大阪や東京も近い。なので例えば、IT系の企業なら商談と納品だけ出向けば、こちらで仕事ができてしまう。光通信をさえあれば田舎にいながら仕事ができるんですよ。こういった仕事を呼び込めたらいいんじゃないかと思っています。

今の私の頭の中は、家を建てることより、村をどうしていくのかがメインなんですよね。自分のことはどうにかなると思っているんです(笑)。

 

今ある資源を活かしつつ、子育て世代が暮らせる村に


DSC 8422 農業と観光が大きな産業となっている南阿蘇村。農業が生み出すこの風景が大きな財産であることは間違いない。農家の高齢化が進む一方で、新規就農者が農業だけで生計を立てるのは厳しい状況が続いている。

 

 

——少子高齢化が進む中で、これからどんどん、地域がふるいにかけられていくと思うんですね。要は、住民が自治体を選ぶような時代になっていく。そんな中で、たくさんの人がここで幸せに暮らしていくために必要なのは、どんなことだと思いますか?

 

「一番大事なのは、とにかく子育て世代が来ることですよね。そのためにはできる限り村内で仕事をつくることです。村外で仕事をしてるってことは、法人税に当たるものが村の外に落ちるわけです。村に落ちるのは住民税だけになる。経済的に村にお金が回る仕組みが必要ですよね。

南阿蘇村は平均所得が極端に低いんですよ(2018年の全国平均は422万円、南阿蘇村は243万円)。これを全国平均に近い数字にまで上げられるような仕組みが必要だと思います。農家さんが高齢化して作付け面積減っていますよね。これって環境の保全という意味でも、非常に問題がある。でも、80歳くらいの人に、畑耕せ、作物植えろ、草取りしろ、収穫しろって言ったって、それは無茶な話ですよ。だったら、農業法人を作って、そこで人を雇用するのがいいと思います。法人の役員さんは全部農家さん、出資は全部土地というふうにして出してもらって、他の人を雇って工作してもらう。役員報酬は現金でってなるでしょうけど、取れたものを虹加工して付加価値をつけて高い値段で売ると、収益になる。土地を活用していく方法を取らないと、作付けが減ってどんどん荒れてしまいます。JAと相対するところはあるんですけど、それでも必要で、学生や新規就農者を引き込んでいけたらいいんじゃないかと。個人でやると社会保障もないし、機械が買えないなど難しいと思うんですよ。法人にして雇用にしてしまったら、保険から何から、法人でみて、ある程度の安定収入が取れる方法を作ってあげてリスクを分担すると、ひとりひとりのリスクが小さくなるから、農産物の生産から加工品づくりまでを農業法人でやるのがいいと思いますね」

 

——村の中で生活と仕事の両方ができるようにするために、ここの資源を生かす形で、地場の仕事を作っていくということですよね。

 

「それが観光業に偏るとか農業に偏るんじゃなくて、もっと付加価値をつける形。工業も欲しいんですが、工業って難しいですよね。というか、来て欲しくない(笑)」

 

——うーん。ちょっと似合わないですよね。

 

「だから、ソフトウェアの会社など、環境負荷が少ない会社にきてもらうのがいいと思うし、農地を放棄したことによって、草が増える、虫が増えるで、周辺の土地も荒らしてしまうので、村の人たちがちゃんと潤うような形にして農業と他の産業をリンクさせていけたらと思います。

 

——所得が低いのは大変である反面、お金がなくても暮らしていけるっていう強みでもありますよね。お金に換算されないものが回っているってことですものね。

 

「そうですね。そこも大事にしつつ、サラリーマンも住めるような村にしていきたいですね」

 

DSC 2146

 

 多くの苦難を乗り越えてきた高橋さん。村の将来や地域の人について語るとき、彼の目はとても生き生きとしていて、表情も輝いていた。彼にとって、苦しい時に「誰かのため」に動くことが、自分を支える大きな何かになっているのかもしれない。高橋さんの描く地域の幸せは、震災の復興とともにどのような形になっていくのだろう? 今後の活動に期待したい。

 

<地震から1年までの様子は、『ローカルメディア3 vol.4 熊本へのラブレター』に収録しています>

http://local-m-info.check-xserver.jp/vol-4.html

この記事は 3538 回読まれました 最終修正日 2018/04/17(火) 05:37
澤田佳子 さわだけいこ Kco Sawada

ローカルメディア3代表・編集長。コミュニティ×循環型の暮らしを求めて関東から九州へ。九州のローカルネットワークをつなぎながら、固定概念を超えた新たな選択肢「次の暮らし」が生み出す世界の実現に向かう。

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