阿蘇地域の観光協会がネットワークをつくり、観光情報をまとめてPR
——観光協会は地元の事業者の会員になって、南阿蘇村の観光振興をしていますね。地震で被害を受けたところも多いと思いますが、南阿蘇の事業者のみなさんの間ではどんなことが求められていますか?
「南阿蘇では、ひとつの目標として、橋、トンネルができるまでに阿蘇の観光が衰退しないようにやれることをやっていこうというのがあります。でも、南阿蘇の観光資源だけでPRしても、たくさんの人を呼び込み続けるには十分ではないので、大きなものを迎えて阿蘇エリア全体で動かしていくことが必要だと思っています」
——そんな中で、阿蘇地域の観光協会で協力しながら広域連携を進めていると聞きましたが、どんな目的で動かれているんでしょうか?
「観光協会は各自治体単位で活動している民間団体なんですが、地震後に阿蘇郡市の7市町村の観光協会長で定期的に集まり、「阿蘇広域観光連盟(仮)」を立ち上げようとしています。今は県からの支援を受けていて、阿蘇地域全体でひとつになって観光を盛り立てようとしているところです。
地震後の復興には、観光業者もスピーディーな対応が求められたのですが、今までのように行政区の単位で個別に動いていると、どうしてもできないことが出てきてしまっていました。その様子を見ながら、何もできないまま時が過ぎていってしまうのを歯がゆく感じていたんです。それを変えるには、必要としている人達が協力してスピーディーに動かしていけばいいのだから、観光事業者が行政区にとらわれないで連携していくことが大事だと思いました。
阿蘇市のNPO法人ASO田園空間博物館も道の駅あそを拠点に情報発信しながら活動していますし、公益財団法人阿蘇地域振興デザインセンターも広域に活動してきましたが、行政の委託事業が主になっています。民間が行政に多くを求めて負担をかけるのではなく、民間が必要としていることは民間で、スピード感を持ってやっていこうと。
例えば、今課題になっているのが、それぞれの地域の観光資源がバラバラになっていて、観光に来た方が、どんな観光メニューがあるかまとめて見ることができないことです。なので、まずは情報の集約と発信をみんなで協力してやろうと話しています。発信源もそれぞれの市町村で持つのではなく、ある程度、集約して発信できるハブをつくるのがいいですね。もちろん、それぞれの地域の思惑はあると思いますが、基本的な理念はひとつにして、連携しながら動いていくことが地震後の観光復興には必要だと思っています」
--なるほど。確かにそうですよね。協議会はいつ頃から始められたんですか?
「2017年の5月に呼びかけをして、各地域の方達といろんな話をしながら進めてきました。議員さんを呼んで懇親会など重ね、現状の情報共有と目的の共有化をすすめてきました。ちょうどどの団体も50代が代表になっていて、やる気のあるメンバーが揃っているので活動しやすくなっています。小国町も観光協会協会設立に向けて動いていると聞いています。連絡を取りながら組織化をすすめているところですよ」
--そうなんですね。スピーディーに動くには、地域ごとにも、そして地域の中でも、被害の違いがあるので、意識のすり合わせが難しいところがありそうですね。
「意識の違いは、ありますね。南阿蘇は被害がひどくて営業が再開できないところもありますが、それはそれで動いていくとして、協議会では阿蘇地域全体としてどうしていくかを話し合っています。
今、動かないといけないんです。
それぞれがやりたいこと、やらないといけないことはそれぞれでやって、共同でやらないといけないところは連携してやるイメージです」
--システムをつくるのにもお金がかかりそうですが、協議会の運営資金はどうされているんですか?
「運営は、県や自治体からの補助に頼らざるを得ないと思います。ただ今協力を要請中です。今は、月1回寄り合いをもって話し合っていながら進めているところです。やれることからやっていくしかないので、まずは各地の観光情報の集約と発信から始める予定です。情報を集約して発信することで、阿蘇が持っている力をしっかりアピールして、たくさんの人が来て阿蘇の中で周遊できるような仕組みをつくっていきたいんです。来年度から本格的に始めますよ(笑)」
楽しみながら暮らしている住民が、村の魅力を発信していく仕掛けを
当たり前の田舎の暮らしの中に魅力を感じる人達が増えている
--協議会は今までになかった枠組み。これからダイナミックな動きが生まれていきそうですね。南阿蘇村観光協会としては、どんなことに取り組もうと思っていますか?
「南阿蘇は自然に囲まれているところ。自然に触れ合うようなイベント、ツアーがたくさんできるので、それを活かして、より魅力的な商品の売りをつくっていくことですね。その魅力を伝えられる、案内できる人づくりを観光協会でできないだろうかと思っています。
トレッキングや町歩きだけでは人は来ないんです。温泉や美味しい料理があるから泊まりに来て、時間があるから何かないかなって感じでしょう? なので、今、それぞれが個別にやっていてバラバラになっている体験メニューを集約して、見どころになるところをつくっていけばいいと思っています。今年みたいに雪が降る時には、スノーシュー、アイゼントレッキングが冬の商品にできますしね。
南阿蘇観光協会が頑張って村に人を呼んで、村に来る人が増えれば、みなさんの利益につながります。この村の観光情報をしっかりと発信して多くの方にこの村に来ていただくことが大事だと思います」
--なるほど。村全体の集客をあげるところに協会として力を注いでいくわけですね。民間主導でつながりながら進めていこうといういうことですが、行政や地域の関わりが必要なところもありますか?
「観光資源の発掘や商品づくりには、行政の力が必要ですね。ルートなどの環境整備も必要だし、川の利用には縛りがありますから。村で暮らしてきた人たちは価値がないと思っているものが観光資源としては魅力があるのですが、そこに住民の意識をどう持っていくかが課題ですね。
自然体験でお金になるのは入口レベルの体験です。経験していけば自分でやれるようになるし、自分で行って楽しむようになる。南阿蘇は、プロが勝手に入って行くような険しい自然ではなく、入口レベルの自然がいっぱいあるので、ビジネスになりやすいと思いますよ。そうはいっても自然の中なので、楽しさと怖さの両方を教える必要があるとは思いますが(笑)。この入口の体験が持つ可能性をしっかりとした産業としてつくっていけば、村の将来は明るいと思います」
--私の友人にも、最初の山登りが烏帽子岳の山開き(観光協会主催で、地震前は毎年5月に開催されていた)で、そこから山にはまって、今では休みのたびに山に行っているって女性がいますよ。
「そうですか(笑)。最近は山ガールが増えていて女性のグループが多いので、招く方のもてなしも変えていかないといけないですね。もっと若い人や女性が中心となっていろんな商品を生み出していくようになればいいですよね」
--お客様もいろんな方がいらっしゃるので、つくる側もいろんな人がいた方がいいですね。私達のように外から来た者は、歴史や暮らしなどもっと地元のことを知りたいと思いますし、地域のことをよく知っている人達との関わりが増えるといいなと思います。
「まずは、住民がこの自然を楽しんでいくことですね。住民対象に南阿蘇を学ぶ講座を開いて、参加してもらうのもいいと思います。温泉、水、農業など、テーマを決めて学べるようにするとかね。南三陸は震災の前から地元について学ぶ年間の講座を開いていたので、震災後すぐに住民が語り部になれたそうです。まずは住民から、地元を知って紹介していく地道な活動が必要ですね。
特に自然体験をさせたいのは子ども達です。小さい頃から川で、山で、雪山で楽しめるような体験をしていると、どこか出て行ったとしても、やっぱり戻って来たいなと思ったり、ここで仕事したいという人が増えると思うんですよ。
教育現場でも、野外活動を授業に入れて欲しいなあ。南阿蘇でしかできないことを学校でもやって欲しいですよ。例えば、教育先進地に行って修学旅行の受け入れを学ぶとか、サマーキャンプを開催して都会の子ども達に田舎を経験してもらうとか、できる可能性があればそこも広げていきたい。菊池市でやっている水路のカヤックツアーも南阿蘇でできそうですが、生活圏によそから来た人が入ることになるので、住民の理解が必要になりますね」
--いろんな可能性がありそうですね。インバウンドも盛んになっていますが、南阿蘇ではどんなアクティビティが喜ばれると思いますか?
「欧米系の人はスローに動きますよね。歩いたり、自転車に乗ったり。なので、南阿蘇鉄道に自転車を乗せて移動できるようにして、自転車を使う人達が楽しんで移動できるようにするのもいいと思います。ソーラーパネルで充電できる電池交換所があれば、電動自転車をフルに活用できますしね。立野渓谷を渡るのは鉄道ではなくロープウェイとかね(笑)。
観光業がなくなれば、この村はなくなります。観光バスで来て散らかしていくだけの観光では村は豊かにならない。住民自身が地元を理解して発信してくような観光にしていけば、地域も自分も潤います。物やお金から、精神的な成熟に向かおうとしている時代の中で、南阿蘇ではそれが可能になると思うんです。
この震災にあったことで、切り替えていきたいですね」
未来に続くのは、自然と夢のある村
暮らしや農業と直結している湧き水は、美しさでも人を惹きつける
--住んでいる人達が幸せで夢を持って生きているところは、とても魅力的だということですよね。そいうところには移住したいなと思う人も増えるんじゃないかと思いますが、河津さんはこれから先、南阿蘇村がどんな村になったらいいと思っていますか?
「今の人口流出は止められないでしょう。全国的に、子どもの数がどんどん減っています。このスピードを抑えていくには、移住者が住みやすい環境をつくっていく必要がありますね。できなければ彼らはもっと居心地の良いところへ行ってしまうし、そんな村は衰退するだけ。自ら変わろうとしないと可能性は狭まります。これからは、他の地域がやっていない、夢があることを積極的にしないといけないと思いますよ。
農業も村の大事な産業ですが、農業も将来につながるものでないと続かないですよね。地元の農家さんは、大量につくって取引しているのが楽だと思っている人も多いようですが、大量につくるなら中国が強い。逆に、少量でも安心安全なものをつくっていけば中国の富裕層にも売れるでしょう。今は消費者が選ぶ時代ですからね。循環型の農業が認定されている地域もありますし、南阿蘇でもそこに補助していくことが必要じゃないですか? 行政が基準を設けて農産物を売り出していく必要があると思いますよ。質のよいものをつくった人の努力が評価されうようなシステムをつくって、村の農家さん達をランク付けしていくなどして、同じ作物でも価値が高いものは高く売れるようにしていくのも必要でしょう。
南阿蘇は自然が残ってきた地域でそれが資源になっているので、これからも開発ではなく、自然を残した形でやっていきたいですね。空き家を手放せるような仕組みをつくったり、空いている学校の運営を活発にしていくなど、できることはたくさんあります。メニューはいっぱいあるのだから、観光でも移住定住促進でも、今あるものをうまく活用して、人を呼び込む仕組みをつくれたらと思います」
そして気になる地獄温泉の今後。詳しくは次回の記事で!
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