⇨熊本地震後の清風荘の様子はローカルメディア3vol.4熊本へのラブレレターで
4月16日 熊本地震本震発生
建物が激しく揺れ、辺りは真っ暗に。建物が崩れ落ちることはなかったが、村への幹線道路である喜多垂玉線が崩れ落ち、孤立。隣接する垂玉温泉山口旅館と合同で宿泊客の安全を守りながら救助を待ち、全員がヘリコプターで救助された。
2016年4月16日のANNニュース
救助後、従業員数名と共に南阿蘇村白水地区、久木野地区で避難生活を送る。幹線道路は破損が激しく復旧が見込めないため、夜峰山から続く林道も崩れ落ちた部分があり、重機を入れて新たなルートをつくる必要があった。長年勤めてくれた従業員と共に工事中の土砂を超えて歩き、敷地内の片付けを開始した。
幹線道路だった村道喜多垂玉線は破損が大きく、全面開通は2019年3月末の予定になっている。
迂回路として使っている夜峰山からの林道。右手前のアスファルトから、中央奥のアスファルトまで道が続いていたが崩れ落ちてしまった。この斜面の土砂は、隣の垂玉温泉山口旅館に流れ込んでいった。
地震の衝撃に耐えた本館。築100年を超える木造建築が清風荘に関わる人たちの心を支えた。
敷地内にはいくつかの地割れが走っていた。本館奥手にあった自宅は解体することに。
敷地内は建物の被害が大きく、敷地西側にある明治時代に建てられた本館は比較的被害は少なかったが、本館の奥手にあった自宅と従業員の寮、本館の東南にあった新館は大きく破損し、解体が必要な状況に。4つあるお風呂のうち、一番西にあり、湯船の下が泉源になっているすずめの湯は無事だったが、中央から東寄りにある元湯、露天風呂、新湯の3つは、泉源からの配管が壊れ、浴室内にヒビが入るなどの被害が出た。建物では、東側にあった湯治客用の自炊棟、新湯周辺の自宅は被害が少なく、この時点では借り住まいとして使える可能性があると見込んでいた。電気もない中、河津さん達は敷地内の片付けや浴室を修繕するなどして、再開に向けて意欲的に動き出していた。
6月 梅雨の大雨が降り注ぐ
数日に渡る激しい雨により、地震で緩んでいた地盤が大きく崩れ、南阿蘇村では被害が拡大。地獄温泉では裏手にある夜峰山の斜面が大きく崩れ、地震以上の大きな被害になっていた。
夜峰山の北〜西斜面。山肌が大きく崩れ落ちている。
源泉の谷を伝って敷地まで流れ込んだ土砂の高さは、2メートル近くにもなっていた。
土砂で川筋が変わり、排水用の暗渠も埋まってしまったため、行き場を失った水が新たな流れを作っていた。
建物の中に入った土砂は廊下を水路にして流れ込み、客室や厨房などを埋めていった。
修繕した元湯も土砂に埋められていた。
湯治用の自炊棟にも土砂が迫り
露天風呂とレストラン曲水苑への道は流木と土石流でふさがっていた。
泉源からの配管は土砂で流され跡形もなくなり、建物はダメージを受けたが、
石造りのふたつの露天風呂はそのままの姿を残していた。
新館の廊下。壁の汚れが当時の水位を伝えている。
被害がなかった新湯にも行き場を失った川の水が流れ込み、解体することになった。
再生への希望を見つける
そんな中でも壊れずに残ったのが、古い日本建築、そして、変わらず湧き出す温泉だった。
土砂は客室と厨房を埋め尽くしたが、100年の歴史を刻んだ建物の躯体は揺るぎなくそこに在り続けた。
古民家を移築した曲水苑は破損が少なかったので、材を残して再生することに。
斜面が崩れ、土砂で埋もれた谷の脇では、泉源が変わらず湯煙を上げていた。
地震後に希望を与えてくれたすずめの湯は土砂災害からも免れ、
以前と変わらず、すずめのような鳴き声をあげながらお湯が湧き続けていた。
「私たちには温泉がある」
多くのものを失って呆然とする中で、今も変わらず湧き続けるすずめの湯を見て、河津さんはそう思ったのだという。
こうして、温泉と先人が積み上げてきた歴史を軸に、地獄温泉清風荘の再生と復興が始まった。
<清風荘再建に向けてファンド設立・出資者募集中!>
https://www.securite.jp/fund/detail/4295
まずは日帰り入浴を実現するためのお手伝い。ひと口1万円で・すずめの湯源泉(380ml×1本)とおすすめタオルのセット、または、すずめの湯入浴券2枚(1枚につき、お1人様1回ご入浴可能)がもらえます。
<地震から1年までの様子は、『ローカルメディア3 vol.4 熊本へのラブレター』に収録しています>
http://local-m-info.check-xserver.jp/vol-4.html
次回は、ボランティアの活動から復興への足取りを辿ります。